受験戦争を控えた中学生時代。相変わらず勉強ダメ人間だった孔明が偏差値68の高校に合格。道は決して一つじゃない。

 

■変わらず勉強嫌い

中学校。地元にあるごくごく普通の公立中学校に入学した。

部活動として剣道。

習い事は、ピアノと習字。

趣味は漫画を読むことだった。

特に剣道は、「六三四の剣」という漫画を読んで感動。
昔からやってみたかったので、小学校の時のサッカーよりはちょっぴり燃えていた。

中学生になり、両親は更に、「沢山勉強をしなさい。」

「良い高校に進学し、良い大学に行きなさい」と言ってくるようになった。

けれども人間そう簡単には変われない。

どうしても、勉強など、机に座ってする気にはなれない。

小学校の時と変わらず、勉強方法と言えばベッドに寝っころがって教科書を読んでいるか、漫画やくだらない本を読む手法。その手法にますます拍車をかけていった。

中間テストや期末テスト。

僕もそれらのテスト前には、「流石に勉強しなければ」と意気込んではいたのだが、机に座って「よし始めるぞ!」と鉛筆やボールペンを握っても、30分ともたない。

机の隣にあった本棚から、何十巻も続く漫画本の1巻目に手が行ってしまい、「この1巻を読んでから勉強しよう。」と考えて、2巻、3巻・・・と読み始めてしまうのだ。

途中止めることはできず、気がつけば最終巻まで手がかかってしまう。

さて、テストの結果はというと・・・、「僕はこんなに勉強しなかったにも関わらずテストの点数は、クラスでトップでした!」・・・と、本来ならば格好良く言いたい所なのだが、現実はそんなに甘くはない。

いつもテストの点数は中の上か下。中途半端な点数ばかりしかとれなかった。

 

■中学生の成績は相対評価

僕の両親は、「何でこんなに低いテストの点数しか取れないんだ」と、いつもテスト結果をもらう度に怒っていた。けれども実は僕はそれ程あせってはいなかった。

なぜならば、公立中学校の成績は、テストの点数だけで決まる「絶対評価」ではなく、曖昧な部分が多い「相対評価」であるということに、入学してすぐに気づいてしまっていたからなのだ。

この「相対評価」の元での成績は、先生に気に入られさえすれば、どうにでもなるということに気づいてしまっていた。

露骨にクラスメイトたちのいる前で、我先にと先生にアピールしてしまうと、友達を失ってしまう。出る杭を打つのが人間の本能だから。

という事で細心の注意を払いながらも、先生たちに僕を売り込む、秘密の校内営業活動がスタートしたのだ。

その目的は、テストの点数ではなく、学校の成績を上げるため。

 

■席はなるべく前の方を選択する

僕が必ず実行していたことは、席替えの時には必ず嘘で「目が悪い」といって、前の方の席を選択すること。

これは単純なことだが、先生から見ると「後ろの方のやつらは聞いていないやつら」「前の方のやつらは聞いているやつら」と自然に思い込んでしまう傾向があるからだ。

1年生の1学期は後ろの方になってしまったが、その時、先生のクラスメイトへの態度を見て気がついた。

国語、数学、英語、理科、社会、美術・・・等等、ほとんどの先生がそのような傾向を持っていることに気がついてしまったのだ。

本当は視力が1.5以上と良いにも関らず、健康診断の時にはいつも嘘をついて「分かりません」と言って視力検査の結果を自ら落としていた。視力検査は完全なる自己申告制だから。

これは3年間通した。何せ、前の方の席をキープするのだから、必死だ。

こうして目の悪い世界観を作り上げることに成功した僕は、3年間一番前の方の席に座ることに成功する。

後は授業中眠ることを我慢して、先生の顔を常にだまって見ながら、たまに先生が目を合わしたときに、「うんうん」とうなずいて何かメモっているフリをすればよいのだ。

幸いなことに、自分で机に向かって何か書こうとすると、すぐ眠たくなってしまうのだが、人の話しを聞いている分には、眠くはならなかった。

こうして先生からの「熱心なやつだ」という評価を手に入れることに成功したのだ。

 

■決して自ら発言しない

ここで気をつけないといけない。先生にアピールをしたいからといって、決して自ら手をあげて「はーい。私わかりまーす。」などとアピールしてはならない。

そんなことをしたら、先生からのポイントは確かに上がるかもしれないが、今度はクラスメイトからの評判が下がり、楽しい学校生活を棒に振る羽目になってしまう。

しかし、しっかりと授業中に発言するのことは大事。

さて、そんな時は一体どうしたらいいのだろう?

答えは、先生が何か質問を投げかけたときに、常に先生と目を合わせていれば、高い確率であててくれる。

後はわざと照れながらも、ちゃかすことなく、自分が授業を聞いていた範囲で的確に「その答えは〜ではないですか?」と、発言をするのだ。言い方があまり自信満々にならないようにするのもポイントだ。

先生によっては「発言点」というのをつけている場合がある。だから、これを日常的に繰り返しているだけで点数はたまる。

テスト自体はできていなくても、「孔明君は本当はできるやつだけど、本番に弱いだけ」等と勝手に先生の方から勘違いをしてくれる場合があるのだ。

実際僕は、本当は実力もないのに多くの先生にそう言われていた(笑)。

授業中にさされたときに答えるのは本当に簡単。

授業中には、すでに答えを言っている場合が多いので、先生の話をしっかりと聞いているだけ。

この方法での成績への加点率は、生徒達からなめられている先生。もしくは馬鹿にされている先生ほど高かった。

授業中が騒がしいままでも何も言わずに授業を進めている先生ほど効果的だ。

5段階評価で本来ならば、「3」位のテストの点数しかとっていないのに、何故か「5」になっていた教科もあった。

今になってあらためて考えてみると不思議だが。

 

■放課後にもチャンスあり

僕の社会の授業の先生だったのは、お年寄りの先生。3年間同じだった。

しかも何故か「永遠に?」と言っても過言では無いほど、図書委員会の先生だったので、放課後や休み時間はいつも先生は図書室にいた。

僕は、文字だらけの本の中では唯一、探偵小説が好きだったこともあり、何回も図書室に足を運んでいた。

そして図書室に行った時には、必ずその先生に話しかけていたのだ。

そのうち、僕は図書委員でもないのに、「ライトが切れた、取り替えてくれ」だの、「これ●●先生に持っていってくれ。」だのと用事を頼まれるようになった。

僕はそこで躊躇することなく「はい!」と応えて、確実に迅速に頼まれごとを実行し続けていた。

ちなみにこの社会科の先生からも、テストの点数自体は「3」位の成績しかとっていないのにも関わらず、なぜか「5」の評価をもらっていた。

この場合、先生から露骨に言われていたのだが・・・。

「この電球替えてくれたら5やるから」って。。。これ事実ですよ。。。

この様に、放課後にも構内のいたる所に、良い成績をとることができるチャンスが転がっている。

校内には放課後も何かをしている先生が沢山いるからだ。

ポイントは、他のクラスメイトたちにあまり気づかれないように、露骨にならないように、実行すること。

そして、休みのの時間であろうが、授業中以外で先生から頼まれごとをされやすい状態に、常に自らを持っていくことだ。

そして、いざ頼まれたときには迅速かつ確実にそれをこなす。

 

■目立たなければならない時

中学校生活において僕は、クラスメイトからヒンシュクをかわないよう、なるべく、アピールして目立つようなことは避け続けていた。

けれどもそんな僕にも、絶対に目立たなくてはならないと考えていた時があった。

それは「イベント」。

「イベント」で目立つことはでしゃばることではない。

逆に「あいつあんな特技を持っていたのか」・・・と先生からもクラスメイトからも圧倒的な評価を受ける絶好のチャンスなのだ。

ちなみに僕が年間の行事で力を入れていたのは、特に次の二つ。

▽合唱コンクール:

クラス対抗の合唱コンクール。

クラスのメンバーで、指揮、ピアノ伴奏、合唱を実施します。

僕は幸い幼い頃からピアノをやっていたために男なのに伴奏。

他のクラスは女の伴奏者ばかりなので目立つ。

そして指揮者。

一クラスの持分が2曲あるうち、1曲は伴奏、もう1曲は指揮者をやる。

特別点がつくので、筆記テストの結果に関係なく、大抵音楽の成績が5になる。

 

▽習字コンクール:

これも習い事が生かされた。

年始一発目の全員が参加するイベントなのだが、金賞になると、単に筆を使って文字を書くだけのものなのにも関わらず、何故か「頭の良いやつ」「知的なやつ」的なうわさが立つ。

人間のイメージっていかに曖昧か。

これも何故か国語の点数に大きく反映されるのだ。

金賞になってテストで普通の点数をとっていたら、大抵3学期の国語の成績は「5」になる。

例え銀賞でも加点は大きい。

 

▽体育祭:

体育祭では残念ながら、運動神経が良いやつは、世の中山ほどいるので、僕はあまり目立つことはできなかった。

このような時は、確実に自分のできる範囲の中でこなすのみ。けれども、応援団に入る事はポイントアップにつながる。

 

嫌々やっていた習い事が、運良く生かされてしまった・・・。この点は両親に大感謝。

つまりは、公立中学校ではテストでよい点数を出すことよりも、習い事をいかして、イベント系で目立った方が、成績に反映される割合が高いという事。

あなたにもお子様がいたら、是非この点チャレンジさせてみて欲しい。勉強で勝つよりも楽だから。

 

■委員会の選択

公立中学校の場合、重要なのが委員会。

委員会の最上級に位置するのは、唯一全校選挙で選ばれる生徒会長とその下僕達、生徒会員。

彼らは生徒会というだけでも、テストの点数以上の恩恵をこれまたあずかることができる。

けれどもその責任は重大。

全校生徒の前でスピーチしたりするのは勘弁だ(実は僕、昔から大勢の前でのスピーチが苦手)。

かといって、委員会に何も属していないのでは、プラス得点の恩恵をあずかることはできない。

という事で当時、考えに考え、選んだのが保険委員会だ。

保健室を学生の立場から運営する委員会。

保険委員会は中学1年生のときから、中学3年生の時までずっと通した。

ですので、3年の時には当たり前のように、保険委員会の委員長になることが出来た。

実は、僕が保険委員会を選んだのにはもう一つ理由がある。

単に仕事が楽だとか、そんなことだけではないのだ。

 

■学校中の問題児が集まる所が保健室

保健室は学校中の問題児たちが集まる場所という一面を持っている。

保健室に来る生徒たちは、怪我をしたり、病気になったりで来る生徒だけではない。

心の悩みを抱えている生徒たちも沢山来る所なのだから。

学校の「ヤンキー」等、問題児といわれる生徒たちが集うことがあるのだ。

僕はこの環境を、自分の中学校での立場作りに利用してしまった。

まず、保険委員として保険の先生に気に入られることで、保健室に休み時間いることができる世界観を作ることに成功。保健室の主と他人から呼ばれるようになる。

そういうイメージがついたら後はこっちのもの、単なる保険委員なのに、保険の先生がいない時等、彼ら彼女らは僕に相談を持ちかけてくるようになってくる。

そうすると自然に、彼ら彼女ら「ヤンキー」たちと友好関係を築き上げることができる。

彼ら彼女らの相談に乗ってあげたりするだけで、精神的な部分ではこちらが上になることができてしまうのだ。

また特に「強い」とされるヤンキーと心の友達になる事は、中学校生活で何事も無く生き残るため、日常を楽しむためには非常に大切なこと。

中学校生活で勉強だけができるやつらの中には、この部分を疎かにしてしまったがため、勉強が滅茶苦茶できるにも関わらず、「いじめ」を受け続けて、可愛そうな学生生活を送っている生徒たちもいた。

いくら将来のために勉強をがんばっているとはいえ、今をエンジョイできなければ全く意味がない。

学校生活をエンジョイするためには、「ヤンキー」たちとも、心の悩みを抱えている人たちとも仲良くなっておかなければならない。

 

■立場ではヤンキーに勝つ

中学校レベルの「ヤンキー」。と、いってもしょせんは子供。

彼ら彼女らの精神的な支えになることさえできれば、彼らからの被害が無いどころか、相当得をすることばかりだ。

また、心の悩みを抱えた人たちも、保健室に来るのは相談相手が欲しいだけ。

彼ら彼女らの意見に対して反論せず、話してくる悩みに対して、うなずいたり、たまに言ったことをそのまま繰り返しながら、聞いていればよいだけ。そこに解決の言葉は要らないので簡単だ。

更には、保健室に入り浸るメンバーの心を、僕がおさえておけば、先生たちからも絶大な支持を受ける事が出来てしまう。

なぜならば、先生たちに、一番心を開かないのが彼ら彼女らなのだから。

大人といえど先生たちも所詮は人間。保健室に入り浸る彼ら彼女らが自分たちに心を開いてくれないことに本当に困っている。

だから、その橋渡しになることができる僕の存在は、相当重要なものになってくる。

僕が中学生の時、意地でも保険委員会を続けた理由がお分かりになっただろうか?

単に、保健室に置いてある国公認の「無修正」の裸の本や、全女子学生の身長・体重・体の変化等の情報を、掴んで満足しているだけではない

おっと・・、こちらは忘れて頂いて結構(笑)。

 

■高校が何もしないで決まった

中学校3年生になっても、僕のテストの点数は一向に変化なし。

結局、「中の上」の壁を乗り越えることが出来ない。

部活の剣道の練習も毎日あったし、委員会やら何やらいろいろ忙しかったので、家で机に座って家で勉強するどころの話ではなかった(・・・と言うのは単なる当時の僕の言い訳)。

家に一人で机に座って勉強することを続けられなかったのだ。

という事で、中学3年生から親に塾に通わされることとなる。

塾の販売促進の一環として無料のテストを受けたら、テスト結果の「偏差値」が恐ろしいほど低かったから・・・でもある。

両親はこんな「偏差値」では「希望高校の受験に合格するわけがない!」と、いつもカンカンになっていた。

けれどもそんな親の心配をよそに、個人面談の時、担任の先生から。

「彼の成績だったら、●●高校に書類選考で行けるかもしれない。」

という話をもらった。

その高校の「偏差値」は当時「68」以上。一般受験をしたら、とても難しいといわれる高校。

親は大感激していた。更に親の希望高校でもあったからだ(親が希望高校を決めるというのも変な話だ・・・)。

僕はテスト結果こそいつも普通。だけど、最終的な成績が相当良くなってしまった。

また、僕の住んでいた県の基準で、美術・音楽・技術・体育等の技能教科の得点配分が通常の国語や数学、社会、理科、英語に比べ、2倍の加点にされる仕組みだったことが、更なる幸運をもたらした。

音楽はピアノを小さいころからやっていたため出来た。他の教科はただ楽しんでやっていただけ。

まじめに楽しんでやっていただけなのに、結果なぜか成績が高くなってしまっていたのだ。

その2ヵ月後。

高校に最後までろくに勉強もせずに、合格してしまった。「書類選考」だ。

筆記試験どころか、面接も無かった。他の人達が受験勉強を開始したばかりの時期だった。

 

■「運」は自ら作つかみ取る

ひょっとしてあなたは、僕の高校合格秘話を知り、「運だけだ」と思われる方もいるかもしれない。

けれどもこれは「運」だけではない。

中学校1年生の時に、中学校の「相対評価」の仕組みに気づき、僕なりにどうしたら「相対評価」の中で、高成績を取れるかを考え、計画を立てて実行し続けた結果だからだ。

もしも他の多くの頭の良い生徒達と一緒に、勉強だけで戦う道を選んでいたら、決して勝ち取ることができなかった「親の希望高校合格」なのだ。

僕は自分自身で、親が期待しているほど、頭が良くないことに、早くから気づいた。特に記憶力が良く無いのだ。

だから、自分の能力の中で、目的を達成させるやり方を自分の意思で考え、他のクラスメイトたちとは完全に違う方向性に進んだ。

まあ、ピアノと習字という習い事は、それを昔に選んでくれた親に「感謝!」なのだが。

既に大人になってしまったあなたはもう、中学生に戻ることはできない。

でも、あなたに子供や孫がいる場合、中学校生活を楽しみながら結果を出す、僕のような方法で高校に合格に向けてアドバイスしても面白いとは思わないだろうか?

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