「道は自分で切り開く!」何かを悟り始めた孔明が、男子校時代に命をかけてアレンジした107回に及ぶ女性達とのお食事会。

 

■柄にも無くスポーツに打ち込んでしまっていた孔明

高校生になった僕が、ついついときめき、入部してしまったのは「アメリカンフットボール」。

防具を着てぶつかり合いながら、戦いながら得点を取りあう野蛮きわまり無いスポーツだ。

小学校の時にサッカー。

中学校の時に剣道。

それなりに部活としてやっていたスポーツはあったものの、どれも何となくやっていただけ。

所が、このスポーツに何故か心惹かれてしまい、事もあろうに高校生活をスポーツ漬けにしてしまったのだ。

3年間、このスポーツ「アメフト」を中心とした生活を送ってしまった。

 

ちなみに毎日の生活はこんな感じ。

6:00 起床すぐに朝飯

7:00 学校にて朝のランニングと自主筋力トレーニング

8:30 朝2回目の食事+プロティン(たんぱく質を摂取する怪しい食品)

9:00 授業中 熱い漫画を読みメンタルトレーニング

たまには恋愛漫画を読み心温まる「BOYS BEE...」

読みながらもこっそり机の下ではふくらはぎトレーニング

もしくは握力を鍛える機会を使って手のトレーニング

12:00 昼飯 

昼飯後 校内ジムで筋力トレーニング

13:00 授業中 アメフトの他チームの調査結果のまとめと統計出し

アメフトの作戦考案 

ギャグ漫画を読み心リフレッシュ

練習時間にそなえて事業中睡眠

15:30頃(高校の終わる時間って何時だったか?忘れた・・・。)

パンを食べる

着替え

全体でのアメフト練習

20:00 全体練習後 その日できなかったことの自主確認

秘密物質「グリコーゲン」を牛乳に溶かして飲む

筋力トレーニング

筋力トレーニング後 秘密物質「アミノ酸」をそのまま飲む

ビデオで本日の自分の動きを確認。相手チームの確認。

21:00 みんなで近くの定食屋さんで食事。おかず:ライス=1:4 モリモリ

22:00 帰宅

風呂

ストレッチ

夜食+プロティン

睡眠

★ちなみに土日は朝から練習だったため、その分早く帰れた。

これを部活が休みの日の「月曜日」以外、毎日続けてしまっていた。

理由は今となってはよく分からない。

強いていえば「思春期」だったからなのか?

高校時代バイトさえ、一度もしなかった。

やっぱり大人になっていく過程の中には、他人が理解できない行動をとる時期がある。

 

■クラスの3バカの一人となる

中学校時代の僕の経歴を読んでもらった後なら分かると思うが、僕は勉強の実力も全く無いくせに、筆記試験、面接も受けず当時偏差値が高かった(今はどうなのか知らない)高校に「書類選考」にて入学してしまった。

更にはスポーツに打ち込んでしまうという、今となっては理解不能なことをし続けていた。

高校の評価基準は中学校のような「相対評価」という曖昧な基準ではなく、テストの点が絶対である「絶対評価」。

おかげで、めでたく3年間クラスのワースト3には常に入る「3バカ」の称号を手に入れることができた。

音楽・美術・体育などの技能強化の成績は抜群に良かったのだが、国語・政治経済・地理・数学・英語等、勉強科目は常にワースト3当たりをさまようことになる。

中でも特に悪かったのが英語。

英語に関しての成績はひどい。本当にひどい。ある年には、1学期の成績は5段階で「1」。2学期の成績は5段階で「2」、このままでは留年してしまうということで、3学期だけがんばって奇跡的に「4」。

留年スレスレの高校生活を送っていた。

英語の授業は、文法の説明を聞いているだけでも、ぐっすりと安らかなる睡眠をとることができた。

日本人が何で外国の言葉を覚えなくてはならないのだと、戦時中の日本兵のようなこだわりも持っていた(なのに今海外で仕事をしてるのはなんとも不思議な話・・・。)

これは、みんなが大学の受験勉強を本格的に始める3年生になっても変わらない。

「勉強をしなさい」とうるさかった両親を絶望のどん底に突き落してしまう成績表をもらうことができた。

実力が無い人間は努力しないと、その世界で生き残ることはできないんだと、とことん痛感させられてしまった3年間だった。

といっても何故か悩んでなかったのは、アメフトで頭当たりすぎて、おかしくなっていたのだろう(苦笑)。

 

■お食事会

高校生の時の僕が、スポーツと同じ位打ち込んでいたのが、お食事会の設定と実行だ。

お食事会といっても、食事をすることだけが目的ではなく、「女性の方々と合同」でお食事をするのが目的のお食事会・・・すなわち「合コン(以下「合コン」」。

何せ僕が通っていた高校は、男だらけの男子校。

高校の中で女性と話す機会は皆無。

思春期といえば、異性とお話をしたいと考えるのは当然。

お話をするために「合コン」を自分でアレンジし、実行することに、命をかけていたのだ。

さらに、僕と同じ不幸な境遇にある周りの男子校生・・・、すなわち高校の友人たちに、「至福」を、お裾分けし続けていた。

 

■自己目標設定「年間50回のお食事会開催」

一年間は通常約52週間ある。

僕は高校一年生の頃、一年間に50回この「合コン」をアレンジしようという目標を立てた。

つまり毎週一回は女性陣との「合コン」を開催しようと心に決めたのだ。

その目標を達成させるため、多忙な部活動の間をぬって、目標達成のための営業活動をしていたのだ。

さて、その方法を明かす前に、「合コン」回数目標に対しての、最終的な結果だけ先に報告させていただく。

 

■「合コン」報告書

1年生 32回 達成率64% 目標未達成 

2年生 55回 達成率110% 目標達成 

3年生 20回 達成率40% 目標未達成 

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高校生活合計 107回 達成率 71.3% 目標未達成

結果から言うと、残念ながら、高校時代の目標50/年間は、達成することは出来なかった。

けれども、男子校の中ではとても貴重な女性との「合コン」主催者として、崇められるには十分な回数。

何せ、女性となかなか会話することさえできない同級生や後輩たちに、女子高校生や大学生、たまにはOLさんたちとの「合コン」の機会を提供し続けているのだ。

この「合コン」が、男子校の中ではどれだけの価値があることなのか、容易に想像できるであろう。

「合コン」をアレンジできるやつが、男子校の中では偉いのです(笑)。

部活も何もやっていない生徒ならまだしも、年間たった数回のオフをのぞいて、火曜日から日曜日まで毎日スポーツばかりしなければならない境遇。

同じスポーツ系の部活に入っている生徒からも、よくそんな仕込みをする時間があるなと不思議がられていた。

確かに、僕の自由になる時間は、他の部活動をやっていない生徒に比べて極端に少なかったのは事実。

けれども僕から言わせれば、忙しいから「合コン」をアレンジできないというのは、単なる言い訳である。

やり方次第ではどんな環境にいようが、ある程度の回数のアレンジはできるはずなのだから。

 

■営業活動のような「合コン」アレンジ

高校に入学してすぐ、男子校のむさ苦しさを、恐ろしいほど痛感した。

このままだと死んでしまうとも思った。

朝から晩まで男としか会話ができないのだから。

「僕の青春は真っ黒だ」と心の底から思った。

同じ考えを抱いてしまっていた同級生たちも沢山いた。

そんな中、中学の元同級生で女子高に進学した友達から「合コン」のお誘いがあった。

女子高生との「合コン」。

彼女も僕たちと同じく、女子高の環境が入学して絶えられなくなってしまっていたのだろう。

場所は横浜関内にあるとあるレストラン。

男性5人 対 女性6人です。

まさに、「水を得た魚」。

お互い夜遅くまで楽しく会話と食事を楽しむことができた。

これが僕にとってはじめての「合コン」主催でした。

その次の日、僕は一緒に参加してもらった同級生達から「本当にありがとう。」と何度も言われた。

僕もそこまで「本当にありがとう。」などと、他人から感謝されたことは、それまでの人生なかった。

僕自身、みんなが楽しんでくれて、心の底から嬉しかった。

加えて、その時連れて行った同級生のうち一人が、相手の女子高生の内の一人と、意気投合して付合うことができたのだから。

こんなに喜ばしいことは無い。

そして、僕は気くことになる。

男子高校生活において、みんなが心から喜び、楽しめるのは、この女性との「合コン」しかない・・・と。

それに気づいた時から、僕の営業活動ともいえる、鬼の「合コン」アレンジが始まったのだ。

 

■身近なところから徹底的に攻める

僕は当時から無理をするのが苦手だった。

本当の僕は臆病者で慎重派。少しずつしか前にすすんでいくことはできない人間だ。

ましては異性が相手となると、様々な感情が障害となって立ちはだかる。

加えて僕はジャニーズ系の顔をしているわけでもなく、小学・中学生活共に女性からもてたことは無い。バレンタインデーでも、義理の「チロルチョコ」位しかもらった記憶はない。

どちらかというと、女性に対しては奥手な方だったのだから。

こんな僕が、どうやって3年間で107回も「合コン」を主催することができたのだろうか?

その秘密は、自分自身でいくつかルールと方法をあらかじめ設定。

自分の感情で動かないようにマシーンの様に、機械的にやる方法を続けていたからだ。

ひたすら地道に。

僕は最初、「合コン」アレンジしようと心に決意を決めてからも、どうやって「合コン」アレンジすればいいのか本当に悩んでいた。

町には沢山、女子高生や女子大生は歩いているが、ナンパ氏のように気軽に声をかけて、「合コン」のセッティングを決めてこられるような、肝の据わった人間では無い。

考えた結果、知っている人からだったら声をかけやすいということで、元同級生たちに目を向けた。

つい数ヶ月前にもらったばかりの、中学校の卒業アルバムを手にし、まずは今まで一度でも話したことがある同級生に、電話をかけることを始めた。

 

■卒業アルバムから「合コン」を決める営業マニュアル

▽実行開始するタイミング

中学校の同級生達は、ついこないだまでは同じ学校の同級生。

これなら話しかけることができる。

ただし、相手へのファーストコンタクトとしては、高校一年生になった一学期のうちが勝負だ。

相手も色々な環境の変化で、不安になっていることや、心にたまっている愚痴をもっている可能性がとても高い時期だからだ。

この時期にいかに、出来るだけ多くの人と、ファーストコンタクトをとっておくかで、今後の流れが大きく変わってしまう。

ファーストコンタクトをとっておけば、その後多少時間が空いても、再度電話をかける理由が出来るのだから。

相手に対して、「高校に行っても変わらず話してくれる人」というよい印象を持たせたまま、高校生活をスタートすることが出来るのだ。

最小限の労力で最大の効果を挙げる方法としては、「タイミング」自体が重要。

この時期を逃してしまうと、それだけ相手との距離もどんどん離れてしまうし、距離が離れてしまうと、後でかける労力もそれだけ大きくなる。

▽用意したもの 

卒業アルバムの電話欄。赤ペン。電話。メモ帳。スケジュール帳

▽候補抽出方法 

必ず「ア」の名前から順番に確認。名前を見ながら、過去に話したことがあるかないかを思い出す。一度でも話したことがある人は、必ず電話をするターゲットとする。

▽電話をする方法

(当時はまだ、携帯電話が普及していなかった。)

「もしもし。元●●中学校の同級生××ともうしますが、▲▲さんは、いらっしゃいますでしょうか。」と必ず、同じ中学校の同級生であったことを最初に名乗る。

親がでても、本人がでても。

ターゲットの女性が不在の場合、何度もこちらからかけると逆に相手がしつこく感じてしまう。
だから、はっきりと自分の名前と自宅の電話番号を名乗り、戻ったら折り返しかけて欲しい旨だけを。(相手があなたのことをよほど嫌いでない限り、高い確率で折り返しかかってくる。)

▽電話で会話するポイント

ポイント1

ターゲット本人と直接話すことができたら、くだらない世間話をしながらも、必ず次のこ内容を会話に織り交ぜる。

「最近●●さん(相手の名前)何やってるのかなーって、急に気になって電話をしてしまった。」

 

ポイント2

相手がどちらの高校に行っているかを確認する。

「共学高校」か「女子高校」か。

「共学高校」に行っている場合は、そのまま世間話を続けて、それではまた何かあったらという事で、電話を切る。

そして、名簿の名前の横に共学の「共」の文字を記入しておく。

「共」の字が書かれている人達には、基本的には二度とかける必要は無い。

なぜならば、学校内での男性との関係に大忙しで、他の学校の人なんか、全く興味を持てなくなるのだから。

「女子高校」と相手が答えたら次のポイント3へ。

 

ポイント3

相手が「女子高校」と答えたら、その女性がターゲットだ。

「学校で男しかいない状態が正直耐えなれないよ、●●さんは大丈夫?」

すると大抵、
「うちも女の子ばかりで、みんなブーブー言ってるよ・・・。」などと不満の言葉をもらす場合がある。その時がチャンス。

後は、「聴き」に徹し、相手からその愚痴を沢山聞き出せたら、ほぼ交渉成立。

 

ポイント4

相手から愚痴を聞きだすことが成功したら、「合コン」の話題に移る。

お互い連れてくる人数の会話になるが、この場合の注意点。

それは、こちら(男性)から連れてくる人数を提示するだけ。そして、
「そっち(女性陣)は●●さん(電話をしている相手のこと)さえ来てくれれば後は何人でもいいよ」と言い放つのだ。

女の子にとって「合コン」のアレンジで一番怖いのは、相手の希望している人数分を、自分で集めなければならないプレッシャー。

そのプレッシャーが重くなってくると、相手はアレンジするのが嫌になってきてしまうのだ。

そのプレッシャーを楽にしてあげることで、「合コン」をアレンジしやすくなる。

そして、一度でもアレンジしてくれた女性は、何度も僕のために「合コン」アレンジしてくれるようになる。

逆に、アレンジの下手なやつはここをわかっていない・・・

女性側に、こちらと同じだけの人数を連れてくるようにと、プッシュしてしまうのだから。

これだけは絶対にしてはならない。

 

ポイント5

一番大切なのは、「合コン」のときに来てくれる、女性陣主催者が連れて来る友達ではなく、その主催者自身だ。

何故ならば、実際に卒業アルバムを元に電話を何十人にかけて、「合コン」のお誘いをしても、実際にアレンジをしてくれる人は、ごくわずか。

「合コン」の開催と主催を一度でも実現化してくれた女性は非常に貴重な存在となる。

僕たち男性陣が一番気を使わなくてはならないのは、主催者自身なのだ。

これは一緒に行く男性陣にも、僕は徹底させ続けた。

こうすることで、主催者の女性も、気持ちよくなり、やる気がでて、何度もアレンジしてくれるようになる。

 

▽名簿の使用方法

一部は既に説明したが、電話をかけた後には、必ず卒業アルバム名簿にマーキングをしていく。

電=電話で直接話をできた人。

留=折り返しをお願いした人。その後お話ができたら「電」を書き込む。

共=共学高校

女=女子高校 

▲▲高校=女子高校の場合のみ高校名記入

×=「合コン」を断られた人

●=「合コン」のOKをもらえた人

日付=「合コン」開催する日と集合時間

場所=集合する場所

人数=男性人側で連れていく人数。

こうして高校1年の終わりに近づく頃には、僕の中学卒業アルバムの名簿はメモだらけになってしまった。

高校一年生時の「合コン」主催回数32回。元同級生達と彼女らの友達に主催してもらった「合コン」のみの回数だ。

ちなみに中学校の同級生が主催の「合コン」、そしてその「合コン」で知り合いになった新しい友達が主催してくれた「合コン」が、3年間約107回の内約8割を占めていた。

 

■孔明が貫き通していたルール

「合コン」のアレンジと主催に当たり、高校1年生の時に設定した。自身への掟があった。

一、女性陣の主催者は神様。

一、僕は主催者に徹する。好みのタイプの子がいても「合コン」の場で個人攻撃してはならない。

一、特定の彼女を作るべからず。

これら3点だ。

 

一、女性陣の主催者は神様。

一番大切にしなければならないのは、女性陣の中でも主催者。

「合コン」アレンジを一度でも実行してくれた女性。

僕たち男にとっては、貴重な機会を提供してくれる神様のような存在だ。

この考えを僕自身が徹底し、一緒に参加した男性陣にも徹底させるべく努力していた。

 

一、僕は主催者に徹する。好みのタイプの子がいても「合コン」の場で個人攻撃してはならない。

「合コン」を回数こなしていく立場として、重要だ。

何故ならば、僕が我を忘れて気に入った女性に、「合コン」中にアタックしようものならば、こちら全体の評判が悪くなる。

主催者は常にクールでいなければならないのだ。

僕の目的は彼女を作ることではなく、僕自身が、自分の高校内において威厳を保つため(表向き)。

僕自身、会話を楽しみ、あくまでも全体を楽しくすることに徹した。

参加者の男たちには、勿論「ガンガンアタックしなよ」と発破かけていた。

そして、友達の恋が実っていくのを、微笑ましく見ていたのだ。

 

一、特定の彼女を作るべからず。

特定の深い仲の彼女ができてしまうと、ただでさえ部活で忙しいので、彼女をとるか、「合コン」をとるかの選択を迫られる羽目になる。

僕には達成しなければならない目標があったため、「合コン」アレンジし続ける道を選択したのである。

 

■エンジョイ高校ライフ

実は、いくら「特定の彼女を作るべからず」等という掟を作ったとしても、これだけの回数、年間通して「合コン」をしていれば、この彼女を作るべからずという、ルールを破らざるをえない機会にめぐり合ってしまうことに何度も遭遇する。

部活・「合コン」・彼女・・・3つをがんばろうとしたことはあるが、中々難しい。

これに関しては僕自身の度量のなさに反省だ。

こうして3つの掟を極力守りながら、3年間「合コン」を、ただひたすらアレンジし続けた。

男子高校生生活を大いにエンジョイできる環境を作り出すことに成功したのだ。

高校の時、僕が主催した「合コン」で知り合い、恋仲となり、そのまま結婚したカップルが、僕が知る限り、2組もいる。

結婚式に呼ばれた時、まだ続いてたの?って感じで驚いたが、本当にうれしかった。

 

■大学受験

部活動「アメフト」に、「合コン」だけの生活を送ったまま3年生になってしまった。

勉強面では相変わらず、クラスでは「ワースト3」のまま。

大学受験お先真っ暗、僕の両親もあきらめかけてきた。

けれども、幸運なことに、体育会の部活動面では、まじめにうちこんでいたこともあり、いくつかの大学から引き合いが来た。

「スポーツ推薦」としての引き合いだ。

ということで数校、グランドとトレーニング施設を確認しに行き。

抜群の練習設備を持っていた大学にあっさりと決めるた。

僕の大学はトレーニング施設とグランドの設備のレベルが高かったのだ。
(この基準自体が狂ってるなーって今思うと感じてしまうが・・・。)

そして、その大学に対して、監督経由で回答してもらった後、形だけの入学試験を実施することになる。結果は決まっているのだか、形式上だ。

試験内容は、40ヤード走。ダミータックル。お相撲のように1対1で当たる練習。ベンチプレス。スクワット。そして大学の事務の人達との面接。スポーツに関しての作文だ。(そう、僕は普通の大学受験の内容がどんな内容か全く知らないのだ。)

こうして、クラスで「ワースト3」を常にキープしていた僕も、高校3年生の6月末には進学先の大学を決めることができた。

そして、邪魔されるものは何もなく、残りの高校生活を、思う存分、部活の「アメフト」と「合コン」に励み続けることができたのだ。

「合コン」アレンジ回数に関して、3年生のときの実施回数が、「たったの20回」少なくなったのは、周りのクラスメイト達が大学のことで大変なときに、僕から、「みんなでパット合コン行こうよ!」なんてことが中々言えなかったのだ。

早い時期に、大学が決まったため、逆に気を使ってしまった・・・。

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