関西・近畿地方の廃線・未成線の国内旅行・観光ガイド | LINEトラベルjp 旅行ガイドは、様々なジャンル この筑肥線は、元々は旧北九州鉄道が整備していた路線でもありまして、大正12年に浜崎駅(佐賀県唐津市)~福吉駅(福岡県糸島市)までが開通、以降延伸を繰り返し、昭和10年に博多駅~伊万里駅間が全線開通に至っておりました。 “けやき通り”は福岡市の中心を横切る国道202号線の一部で、けやき約100本が並木 道をつくっている全長約800mの区間の通称です。1948年の国体の時に整備され、 1991年には福岡市のアメニティ百選に選ばれるなど、福岡市随一の美しい街並みとし 福岡県田川市伊田. Copyright(c) forTravel, Inc. All rights reserved. 2019/05/01, 2019年のゴールデンウィーク、九州へ行ってきました。旅の目的は、①九州の廃線跡を巡る。②九州のJRの未乗区間を乗る。③大分県竹田市の街を訪ねる。でした。平成最後の旅は、雨のため、計画通りとはいきませんでした。その13は、上山田線廃線跡巡り・熊ヶ畑~下山田編です。その1 出発と寝台特急「サンライズ瀬戸」乗車と九州上陸編https://4travel.jp/travelogue/11513982その2 竹田市街散策編https://4travel.jp/travelogue/11516461その3 内牧温泉散策編https://4travel.jp/travelogue/11527589その4 宮原線廃線跡巡り・幸野川橋梁・北里橋梁・北里駅編https://4travel.jp/travelogue/11528826その5 宮原線廃線跡巡り・堂山橋梁・汐井川橋梁・堀田橋梁・猿渡トンネル編https://4travel.jp/travelogue/11530265その6 宮原線廃線跡巡り・宮原線遊歩道・肥後小国駅編https://4travel.jp/travelogue/11564651その7 久大本線・鹿児島本線・筑豊本線乗車編https://4travel.jp/travelogue/11568638その8 後藤寺線・日田彦山線・筑豊本線乗車と添田線廃線跡巡り編https://4travel.jp/travelogue/11569727その9 鹿児島本線・長崎本線乗車と佐賀線廃線跡巡り・筑後川橋梁編https://4travel.jp/travelogue/11574430その10 佐賀線廃線跡巡り・諸富~南佐賀編https://4travel.jp/travelogue/11581798その11 香椎線・篠栗線・筑豊本線乗車編https://4travel.jp/travelogue/11602817その12 上山田線廃線跡巡り・大隈・熊ヶ畑編https://4travel.jp/travelogue/11607729, 嘉麻市熊ヶ畑。旅行5日目の続きです。熊ヶ畑駅跡を訪ねた後、下山田駅跡まで上山田線の廃線跡に歩きます。写真は、トロッコ乗り場です。, 第2宮の脇橋梁。熊ヶ畑駅から3つ目の橋です。コンクリート製でした。トロッコが運行されるので、橋梁がたくさん残されていました。, 嘉麻市熊ヶ畑。この辺り、県道441号線と上山田線は並行していました。奥が上山田方面です。, 第3山田川橋梁跡。上山田線はここで再び山田川を渡ります。8つ目の橋、第3山田川橋梁は、残念ながら撤去されていました。, 第3山田川橋梁跡。熊ヶ畑側の橋台があった場所ですが、樹木が茂っていたので、有無がはっきりしませんでした。, 嘉麻市熊ヶ畑。奥が第3山田川橋梁があった場所ですが、民家の裏手にあったので、間近までは行くのは控えました。, 中の馬場橋梁跡。9つ目の中の馬場橋梁も橋桁はありませんでした。ただし、橋台は残っていました。, 中の馬場橋梁跡。反対側です。銘板もこちら側にありました。コンクリート製との表記がありました。, 中の馬場橋梁跡。橋梁跡から熊ヶ畑方面を望んでいます。左に流れるのは、山田川です。奥が第3山田川橋梁跡があった場所です。, 百々谷橋梁。10番目の橋には橋桁がありました。コンクリート製でした。銘板は苔で覆われていたため、名称は読み取れませんでした。(後日、調べました。), 嘉麻市上山田。熊ヶ畑駅跡から歩くこと40分、鉄橋が見えてきました。県道は上山田線から離れていきました。, 上山田線の路盤。上の写真の反対側、奥が熊ヶ畑方面です。草が茂っていたのではっきりとは分かりませんでしたが、線路があるようには思えませんでした。, 第2山田川橋梁。橋の全景です。橋の反対側も撮りたいのですが、この先の時間が読めないので、あきらめました。, 嘉麻市上山田。この辺りの上山田線は、山田川を挟み、県道から少し離れた所を走っていました。, 嘉麻市上山田。百々谷交差点です。写真の左右を、上山田線が走っています。右が第2山田川橋梁です。, 嘉麻市上山田。百々谷交差点から少し歩くと、鉄道の信号機を見つけました。樹木が生い茂っていてよく分からないのですが、再び上山田線と近づいたようです。, 第1山田川橋梁。その茂みの先に突然現れたのが、12番目の橋、第1山田川橋梁でした。, 嘉麻市上山田。神幸1番区交差点です。第1山田川橋梁から先の上山田線の廃線跡は、道路になっていました。右が廃線跡、左が県道441号線です。, 嘉麻市上山田。奥が熊ヶ畑方面です。写真中央の茂みの所に、第1山田川橋梁があります。, 嘉麻市上山田。ここからは廃線跡に造られた道路を進んでいきます。奥が上山田方面です。, 嘉麻市上山田。すっかり整備されていて、廃線跡などとは思いも寄りません。奥が上山田方面です。, 嘉麻市上山田。防災センター前交差点、住民ホールバス停です。左の緑地も廃線跡を利用したものでしょうか?, 山田生涯学習館・図書館。上山田駅跡に建てられた生涯学習館、図書館に着きました。第1山田川橋梁から8分ほどでした。, 山田生涯学習館・図書館。生涯学習館の下山田側は緑地や遊歩道のようになっていました。, 嘉麻市上山田。上の写真の反対側です。2本の木の奥にある金網の奥に、先ほどの川があります。, 嘉麻市上山田。日赤病院前バス停です。遊歩道はこの辺りまで続いていました。奥が下山田方面です。, 嘉麻市石ヶ崎。再び小さな川を渡りました。ここは上山田線の橋梁を利用した物なのでしょうか?, 嘉麻市下山田。またも緑地的な場所が現れました。奥が下山田方面です。奥上に見えるのは国道322号線です。, 嘉麻市下山田。駅跡を示す物を見つけようと、前が一層強まる中を、大隈方面に進んでみました。, 嘉麻市下山田。さらに進みましたが、駅跡を示す物を見つけることはできませんでした。この辺りの廃線跡は、県道443号線となっていました。, 嘉麻市下山田。上の写真の反対側です。何もないので、引き返し、バス停に向かうことにしました。, 嘉麻市下山田。日吉橋です。次に乗るバスのバス停は県道402号線にあるので、この橋を渡りました。奥が下山田駅跡です。, 下山田バス停。14時50分のバスに乗り、新飯塚駅に向かいました。雨がとても強かったので、バスが来るまで、近くにあったコインランドリーで雨宿りをしていました。この後は、いよいよ帰路につきます。その14に続きます。, 利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 みなさんは福岡県筑後地域にかつて矢部線と呼ばれる路線があったことをご存知だろうか。 矢部線は1945年に開通した日本国鉄線の地方路線の一つである。 今回私が訪れたのは福岡県八女市上陽町にある北川内駅跡。 北川内駅は1985年矢部線廃止とともに廃駅となった。 ②上山田駅(かみやまだえき)は、かつて福岡県山田市(現・嘉麻市)上山田杉町1348番地にあった九州旅客鉄道(jr九州)上山田線の駅である。上山田線の廃止に伴い1988年(昭和63年)9月1日に廃駅と … Ameba新規登録(無料) ログイン. ... 福岡県の廃橋; 福岡県の廃鉱・採石場跡; 九州 廃 線跡. - 廃]名鉄岡崎市内線と福岡線 「岡崎 (おかざき) 市内線」 は、岐阜市内線と並ぶ名鉄の路面電車でした。 しかし、これと接続していた名鉄 「福岡線」 (ふくおかせん) といっしょに、昭和37年(1962) 6月に廃 NO.2340 廃止になってもう35年、筑肥線姪浜~博多間廃線跡探訪(その1、姪浜~旧西新間編). 雑線(被覆線・雑電線・電線・電材・銅線・VA線(VVFケーブル)・廃. Posted on 2020年12月29日 by Leave a comment 2020年12月29日 by Leave a comment 美しい山間の集落に築かれたループ線跡: 国鉄志布志線: 宮崎・鹿児島 山中に手つかずのまま残されている廃駅: 国鉄宮之城線: 鹿児島県 大河に頼らず山の中を進んだローカル線: 鹿児島交通: 鹿児島県 南国情緒溢れる朱色の気動車が辿った道 勝田線. 関西・近畿地方の廃線・未成線の国内旅行・観光ガイド | LINEトラベルjp 旅行ガイドは、様々なジャンルやエリアの旅行に詳しいナビゲーターがHappyになれる旅をガイドする国内・海外旅行の観光ガイド情報サイトです。 Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. 久留米市 高良内ニュータウン緑道 久留米大学前 ニュータウン整備型 大川市 デザインプロムナード 八丁牟田 廃鉄道路線型 国鉄佐賀線廃線跡 小郡市 のぞみが丘美鈴が丘緑道 けやき台・三国が丘 ニュータウン整備型 筑紫野市 美しが丘北緑道 QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。, 掲載のクチコミ情報・旅行記・写真など、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。. 福岡市と北九州市という2つの政令指定都市を抱え、筑豊、久留米、大牟田など「一蘭」の豚骨スープばりに濃厚な街が目白押しのやばか県なのだが、東京から 廃線跡の聖地を巡礼する・安比奈線その①~廃なるものを求めて 第6回~ 公開日:2020.12.21. NO.2340 廃止になってもう35年、筑肥線姪浜~博多間廃線跡探訪(その1、姪浜~旧西新間編) | コウさんのコウ通大百科 PART3, これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、JR筑肥線は、現在の運行区間が福岡県福岡市の姪浜駅から佐賀県唐津市の唐津駅、そして同じく唐津市の山本駅から伊万里市の伊万里駅と、2区間に分かれているのが特徴でありまして、電化区間の, けれども、今から37年前の昭和58年までは、福岡市の博多駅から、唐津市の旧東唐津駅を経て、伊万里駅まで続いておりまして、いわゆる1線で構成されておりまして、現在とは違った形態でも運行されておりました。, この筑肥線は、元々は旧北九州鉄道が整備していた路線でもありまして、大正12年に浜崎駅(佐賀県唐津市)~福吉駅(福岡県糸島市)までが開通、以降延伸を繰り返し、昭和10年に博多駅~伊万里駅間が全線開通に至っておりました。そして昭和12年には、旧北九州鉄道から旧国鉄に変わり、以来国鉄筑肥線としてこの区間で運行されておりましたが、この間には急行の「平戸」・「からつ」・「九十九島」と言った優等列車も、旧松浦線直通の形で全区間運行されておりました。, しかし、筑肥線の姪浜駅~博多駅の区間では昭和50年代から慢性的な渋滞が起こるほどになった事から、福岡市では姪浜駅~博多駅間で地下鉄工事がなされる事になりまして、さらには筑肥線の姪浜駅~虹ノ松原駅間を電化、そして旧呼子線として工事が進んでおりました虹ノ松原駅~唐津駅間を筑肥線として開業する事になり、結果博多駅~姪浜駅及び、虹ノ松原駅~山本駅間が廃止される事に決まったのでありました。, そして、昭和58年に画像の103系1500番台電車によりまして、電化されました筑肥線の西唐津・唐津~姪浜間及び、福岡市交通局(福岡市営地下鉄)を乗り入れるようになりまして、現在の西唐津・唐津~(地下鉄)博多間で運行されるに至っておりましたし、福岡市営地下鉄の車両であります1000系電車も筑前前原~博多間で乗り入れるにも至っておりまして、一転して運行形態も様変わりしております。, 尚、現在JRの車両は上の画像1の305系電車、さらに303系電車に変わっておりまして、103系1500番台電車に関しましては6両固定編成は全廃となっておりまして、画像の3両固定編成のみ運行されております。, まずご紹介します画像は、現在の筑肥線及び地下鉄線の始終着駅姪浜駅であります。この駅は画像のように高架駅となっておりまして、駅舎や駅内からの様子でもわかりますように「地下鉄の駅」と言う印象が強くなっております。そのため、JRの主な駅にあります「みどりの窓口」は設置されておりませんし、以前は駅内にJR九州旅行がありましたが、現在は既に閉店しております。, 一方、こちらがかつてホームがあったと思われる部分です。ここは西鉄バスや昭和自動車(昭和バス)の路線バスが発着しておりまして、かつての姿は残念ながら見る事はできません。, そんなかつての駅構内は、画像中央にありますシルバー色の車の辺りが元のホームであったようでありまして、この駅は島式ホーム1面2線であったそうですし、さらに側線に関しましてはわかりませんが、もしも側線も存在していたようであれば駐車場の部分も構内の一つであったのではなかったかと思われます。, こうして、線路は画像のあたりを続いていたようであります。さらには分岐点等を考えますとビルがある部分も旧筑肥線であったでしょうから、どれだけ広かったのかが伺えるようでもあります。, 場所は変わりまして、地下鉄のトンネル出入口がある部分からの撮影です。ちょうど画像の手前左側で旧筑肥線は分かれておりまして、それからこの後ご紹介しますように、福岡市の南側を通りまして、博多駅へと至るようになっておりました。, ちなみに、画像は地下鉄のトンネル出入口でありますが、このトンネルも西新や天神と言った都心部を運行して(地下鉄)博多駅へと運行している訳でもありますので、福岡市の南側を回っておりました旧筑肥線とは違った形である事には間違いないのではないかと思います。, 画像は、上の画像10の分かれている部分からの撮影です。この部分に関しましては、廃止からしばらくの間は舗装もされずに放置されていた状態でわかりやすかった所でもありましたが、現在は舗装もされている事もありまして、かつての面影も消えつつある事が見ていて伺えておりました。, 同位置の逆方向からの撮影です。このような部分からも、その先のかつての旧筑肥線があった事がわかる姿ではないかと思いますが、先述のように廃止されてからしばらくの間は放置されておりましたので、この姿からも本当によく道路化したなとも思ってしまいます。, 上の画像の奥の部分であります、少々先へと進んだ部分からの撮影であります。この部分は、ご紹介しております姪浜駅方面への道路と接続している部分ですが、この部分も旧筑肥線でもありましたので、こう言った姿もかつての面影を感じる部分でもあります。尚、右側の茶色い建物は、地下鉄の変電所となっております。, こうして、旧筑肥線は以下画像の道路を奥の方へ向けましてさらに進んで行く事になります。画像右側の部分が、先述の姪浜駅南口方面から続いている部分でありまして、ここで廃線跡と交わっておりますが、この交わった道路をさらに進みますと室見川を渡りまして、そして旧西新駅へと進む事になります。, 場所は変わりまして、画像は上の画像の場所から少々先へと進みました、室見川の手前の所からの撮影であります。この道路の部分が筑肥線の廃線跡にあたる部分でもありまして、画像の奥が姪浜駅方になる部分でありますので、ほぼ直線となっていた事もわかります。それにしても、上には福岡都市高速も通っておりまして、様子が大きく変わっている事もわかるでしょうか。, この橋の名称は、画像からもわかりますように「室見川筑肥橋」と呼ばれておりまして、この名称にある「筑肥」と言う所からもわかりますように、かつては筑肥線が存在していた事が伺えるのではないかと思います。さらに、この橋には動輪がデザインされておりまして、こう言った所からもかつてここに鉄道が存在していた事がわかる部分ではないでしょうか。, この「室見川筑肥橋」から博多方を収めたものであります。やはり見ていましてちょうど直線の区間でもあった事がわかるのではないでしょうか。それにしても、画像からはわかりにくいですが、この道路も朝夕を中心に比較的交通量も多い所でもありまして、廃線の道路化がうまくいっている事がわかるのではないかと思います。, 「室見川筑肥橋」より先へと進みまして、弥生二丁目交差点にて信号待ちの時に博多方を撮影したものであります。この通りも両側にマンションや商業施設等が立ち並んでおりまして、かつて鉄道が通っていたと言う面影は全く見当たらなくなっておりました。, こうして、旧西新駅付近にやってまいりました。この旧西新駅付近の道路は、画像のように緩やかなカーブが東西両方向に存在しておりまして、その膨らんである部分に旧西新駅があったようであります。, この旧西新駅は、早良区昭代三丁目に存在しておりました。そのため、現在の地下鉄西新駅があります西新地区よりは直線で南に約1キロも離れておりまして、それにもかかわらずなぜ西新駅と言う名称になっていたのか気になる所でもあります。, 画像は、旧西新駅跡にありますコンビニ「ファミリーマート」であります。実はこのコンビニはJR九州の子会社でありますJR九州リテールの直営店でありまして、鉄道からはあまり離れていない印象であるのもわかります。尚、後にありますアパートも実はJR九州の社宅となっておりましたし、画像の反対側にはJR九州のマンション「MJR」が、さらにファミリーマートの隣にはJR九州系のドラッグストアであります「ドラッグイレブン」も存在しておりまして、旧国鉄から変わりJRとなりながらも関係の施設がこの周りに残されております。, 旧西新駅は、おそらくは画像の中央から右側あたりに駅舎が存在していたのではないかと思われます。さらに、「ファミリーマート」の玄関あたりがかつてのホームではなかったのではないかとも思われますが、どちらにしましてもその面影は「ファミリーマート」などを含みますJR系の建物以外残されていないのもおわかりいただけます。, かつての駅前の交差点にあたります昭代三丁目交差点です。実際この信号の中央部奥に駅舎が存在していたようですが、イメージしてみましてもどんな駅であったのかと言う印象が見ていて伺えます。尚、この廃止直後から、西鉄バスでは代替バスとして69番系統が運行されておりますが、かつては昭代三丁目始終点のバスも存在しておりましたので、もしかしたら折り返し場もあったのではないでしょうか?, こちらは、旧駅前周辺の姿です。よく見ましても、アパートやマンションが通りに多く立ち並んでおりまして、かつての姿は残念ながら見ることができなくなっております。尚、その反対側にあります建物が、先述の上の画像にあります「MJR」の部分となっておりまして、かつては両側にJR九州の社宅、そして中央部に旧西新駅の駅舎が存在していた事が伺える所でもあります。, 今回は姪浜駅から旧西新駅までの廃線跡探訪をご紹介しましたが、こうして見ましても、かつての線路であった部分は道路化されておりまして、その面影も残念ながら見られなくなってしまっている事がお分かりいただけます。やはり、37年も経過している事がそう言った事を伺わせる部分なのではないかとも思いますので。それでも、旧西新駅に関しましてはJR関係の施設が残っているなど、かつて駅が存在していた事が裏付ける部分がいいのではないかとも思う所ではあります。次回その2では、さらに公共施設へと様変わりしました旧鳥飼駅や、面影が見られない旧小笹駅に関しましてご紹介しますので、次回もご覧になっていただきたいと思います。.
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