「格差」という言葉を聴いて連想するのは、どんなことだろうか?
僕たちはこうして今、「生涯収入5億円倶楽部」を通して「お金」というテーマでつながりを持ったこともあり。
僕たちの間で「格差」という話題を出せば、「収入格差」とか「資産格差」とかを、連想してしまうのではないか?
けれども「収入」とか「資産」とか、金額で換算できそうな「格差」って、実は「格差」の本質的な部分ではなかったりするのだ。
ではどんな「格差」が、本質的な「格差」なのだろうか?
紐解いていこうと思う。
▼昔と今の格差の質は違う
今も昔もこの「格差」というものは、僕たち人類の中ではずっと存在し続けている。
けれども、昔と今の「格差」には違いが存在する。
昔は非常に分かりやすく、実感しやすい「格差」だった。
けれども、「格差」も最近では進化成長をし続けて来たようで。
最近の「格差」と言えば、目には見えづらく、認識さえできない「格差」というものが、一番重用な「格差」だったりする。
いにしえの時代の絶対王政や圧倒的な上下階層差別の方が、支配者がわかりやすく王冠をつけて玉座に座ってくれている。
平等じゃない、不平等であることが、わかりやすかったのだが、今はすべてがわかりにくい。
たとえば、その1つの例で、「教育格差」というものが挙げられると思う。
「教育格差」については、資産家とそうでない方のご子息の「教育格差」は、如実にパーセンテージで2桁レベルの違いが出ていると言われている。
両親がかける資金力の違い。ある種の生前贈与。
「教育格差」は格差の上位と下位との間に、大きな大きな隔たりを生み続けている。
でも、僕たちは知らなければならない。
それよりも、もっと恐ろしい「格差」が世の中には存在しているということを。
それが、「情報格差」なのだ。
▼認識すらできない「格差」
なぜ、「情報格差」が恐ろしいのか?
それは「格差」の下位側の人間が、見ることも、触ることも、
存在さえ認識することもできない部分にある。
一般的な「収入格差」とか「資産格差」は、確かにえげつないほど分かりやすいものがあるけれど、まだ、「格差」の上位側だけでなく、下位側が実感できる。
超、分かりやすい。
たとえば、「うちは年収が3,000万円だから、わりといい生活をしている。」
反対に、
「うちはワーキングプアで、200万円しか年収がないから、明らかによその人たちよりも劣っている・・・。」
年収3,000万円 ←「格差」→ 年収200万円
この格差は分かりやすいのだ。
明確に認識できる。
けれども、存在の認識すらできない「格差」が存在する。
そんなたちの悪い「格差」が「情報格差」なのだ。
「収入格差」や「資産格差」という目に見える現象が発生する本当の理由。
なぜ?どうして?の答えに当たる部分。
それが「情報格差」なのだ。
「情報格差社会」・・・僕たちの周りに存在しているそれは、もはや「格差」どころの話ではない。
知っているか?知らないか?
知れる立場か?知れない立場か?
たったこれだけの差が、勝者と敗者。捕食と餌食。
その後の人生は、天国と地獄の差程に開いて行く。
そして、これから誰も、その流れを止めることは出来ない。。。
▼「We are the 99%!」空に向かって吠えるだけ
知恵無き力は単なる暴力である。
知恵あるものから見れば、彼らがやっていることは、ただ単に無意味なことを空に向かって吠えているだけに過ぎない。
厳しいことを言うようだが、事実である。
『We are the 99%!!』
『ウォールストリートを占領せよ』の参加者たちのスローガン。
1970年代から、アメリカ合衆国において上位1%の富裕層が所有する資産が増加し続けている状況。
米議会予算局によると・・・
【1979年ー2007年の推移】
・アメリカの上位1%の収入は、平均すると275%増加。
・同じ期間に、60%を占める中間所得層の収入は40%増加。
・下位20%の最低所得層では18%の増加に留まった。
・下位90%を占める世帯の平均税引き前収入は900ドル低下。
・トップ1%の収入は、合衆国の税制が累進的でないため、700,000USD以上増加。
・合衆国における高額所得者上位400名の収入はおよそ4倍上昇していながら、平均税率は37%低下。
【2007年時点】
・最も裕福な1%が、合衆国の全ての資産の34.6%を所有。
・次の19%の人口が50.5%を所有している。
2011年7月、カナダの雑誌「アドバスターズ」の創始者「カレ・ラースン」が金融機関や政府に対して、抗議の意思を表明するために、金融界の象徴といえる「ウォール街」での行進や、「ニューヨーク証券取引所」前での座り込みを行いながら、デモを呼びかけたのをキッカケに。世界中で、「反格差デモ」が起こり、広がっていった。
今、世界中で勃発を繰り返している「反格差デモ」に共通すること。
自分の身の回りを取り巻く環境の問題に気づき、「立ち上がる」という行動を起こしたところまでは良い。
けれども、だからと言って「街頭を占拠して声をあげる」ことしかできないのは、あまりにもお粗末過ぎる。
この部分だけを見ても浮き彫りになってくるのは「情報格差」。
「手段」を知らない・知れないから、「不平等」を掲げ、街を練り歩く・・・。
そんな至って原始的な手段にたどり着くことしか出来ず、何か上位側に一矢報いる大きなことを仕出かしたかのような、自己満足だけを獲得。
その結果何が残るのか?
「情報」という防御壁に守られている一部の者たち、上位側の人間が創りだした、「情報格差社会」の餌食になり続けてしまう現実だけだ。
引き続き「大義名分」は、「情報格差社会」の「勝者」にあり続ける。
何を叫ぼうとも、世の中の流れに影響は無し。
自分たちがこれから歩んでいく人生(未来)は、何も変わらないのだ。
▼下位側の人間が真実の情報を掴み取れない理由
「情報格差社会」の下、僕たちが今、身につけなければならないのは本当の「力」。
「真実の情報」という、これから勝ち上がっていく上で本当に必要な力なのだ。
「情報格差」の上位側の人間が持つ「情報」を得る力。
下位の僕たちが信じがちな、マスメディアから発信される類の「情報」では無く、一部の上位の者たちだけが握っている「真実の情報」。
何とか掴みとり、僕たち自身にとって有利な方向に、働かせるようになること。
これが重要なのだ。
けれども、その部分で問題・・・というか矛盾のようなものが、いくつも発生してしまう。
代表的な矛盾。
「情報」というものは、ことの他、お金と権力が好きな生き物だということ。
「真実の情報」というものは、いつもごく一部の上位側・・・大富豪か、特権階級の人のところにしか回ってこない。
通常、僕たち下位側の人間のところには、どうでもよい・・・詐欺まがいのくだらない情報しか、入ってこない。
下位側の人間は、普通に暮らしていただけでは、「真実の情報」を掴み取ることができない。
だから、「下位側」の人間に、「真実の情報」を掴みとりなさい・・・」と言うこと自体、矛盾が生じているのだ。
けれども僕の場合幸運にも、この矛盾を解決させるカギが、法律・制度を含むしくみを理解する部分にあると知ることができた。
理解した上で、逆手に取る。
それを続けて行くことで、全く同じ世界を生きているはずなのに、今までとは、真逆に近しき「情報」の流れる世界が、すぐ間近に存在していたことを体感するに至ったのだ。