そのあまりに圧倒的な写実性は、時に依頼主から作品を返品されるほどだったと言います。あらゆるバロック期の画家たちに影響を与えたイタリアバロック絵画の巨匠カラヴァッジョも多数の宗教画を残しました。, 『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』は非常に似た構図で2枚存在しています。後に描かれた作品はより暗い色調で描かれており、絵の首はカラヴァッジョの自画像となっているのです。, カラヴァッジョは類い稀なる才能を持ちながら、大変粗暴な性格で日常的に揉め事を起こす人物でした。まさにこれから、と活躍を期待されていた絶頂期に殺人の罪でローマを逃げ出すありさまです。, カラヴァッジョは2枚目の『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』を自らの罪の償いとして、騎士団長アロフ・ド・ウィニャクールに贈ったとされます。, 優れた作品を数多く残しながら、それと同時に悪名高くもあり、その中にあって、徹底的なリアリティを追求した彼の作品は、今なお新鮮な輝きをもって多くの人々を魅了し続けています。, ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571年9月28日 – 1610年7月18日)は、バロック期のイタリア人画家。ルネサンス期の後に登場し、カラヴァッジョ(Caravaggio)という通称で広く知られ、1593年から1610年にかけて、ローマ、ナポリ、マルタ、シチリアで活動した。あたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現は、バロック絵画の形成に大きな影響を与えた。, (上)『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』(1607年頃)ロンドン・ナショナル・ギャラリー 2020年7月9日放送... 《聖書にまつわる怖い絵・名画》『エン・ドルの口寄せの家でサウルに現れるサムエルの霊』, 《聖書にまつわる怖い絵・名画》“The Great Red Dragon and the Beast from the Sea”. はじめに
5 闘いの証』と『ウォーデン 消えた死刑囚』 の公開が決定, 小栗旬主演の伝説のドラマ『BORDER』続編がいよいよ放送!前作を振り返っておこう, 今泉力哉×三浦春馬、初タッグ作で「別の世界が現れた」「ここだけは引かなかった」シーン秘話を明かす, ドラマ『カルテット』“まさか”の逆転劇!その裏に脚本家・坂元裕二からミステリーの魅力を引き出した出会いがあった, 「進撃の巨人」最終章となる新シリーズ『The Final Season』が12月から放送開始, 上白石萌音が語る、世代を超えて楽しめる『トロールズ ミュージック★パワー』の魅力と音楽の力, 『キャプテン・マーベル』とは一体何者?90年代カルチャー、女性キャラ誕生の背景まで解説!, 燃え尽きる直前にバンドの純心と欺瞞を縫合し、臨界点にて自らへの哀悼の意を凍らせた最後のオリジナルアルバム。それが『PSYCHOPATH』である。, 『BEAT EMOTION』は、BOØWYに関わった全ての人に対する腹心からの謝意をあえて隠し通そうとした“暗喩としてのポップ・アルバム”である。, 憧れと挑むべき高い頂に向かって、BOØWYが制作した最初にして最後のコンセプト・アルバム、それが『JUST A HERO』である。, のちに「BOØWY前」「BOØWY後」と表現されるに至る“あらゆる面でのバンド埋蔵力”をはっきりと示し得たのがアルバム『BOØWY』である。, 『INSTANT LOVE』は、音楽への探究心を逆境の中で開花させた野心作である。, 空集合たる“Ø”の意味は、自分たちに音楽で意志を注ぎ込むことだった。『MORAL』はその第1歩である, https://www.universal-music.co.jp/leonard-bernstein/products/uccg-90592/. サロメは絵画において男を惑わせる魔性の女として描かれていました。 (下)『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』(1609年頃)マドリード王宮, いのちのことば社 東京都中野区中野2-1-5 TEL.03-5341-6901.
自分の国の神を信奉していた彼... 達成志向の世界で霊性を養う プロフィール:トップ写真の左側。フィンランド出身。高校生の時、生けるキリストに出会い、1975年ドイツにあるプロテスタント共同体、マリア福音姉妹会に入会... 興味がある興味がない サロメ(S): 16才の王女 ヘロデ(T): ユダヤの王、サロメの義父 ヘロディアス(Ms): サロメの母 ヨハナーン(Br): 預言者ヨハネのこと ナラボート(T): ヘロデ王の衛兵隊長 ほか 【全1幕】 先ごろ、高校卒業三十周年の同窓会に出席するために、参加費を小切手で郵送しました。旧友との再会が楽しみな反面、心のどこかで不安も感じていました。みんなと比べて、自分が老けて見えたら嫌だなあ。... ラジオ番組でいのちのことば社の書籍が紹介されます!
大昔、イスラエルという国にいたアハブ王は、他国からイゼベルという女性をめとりました。この妻は気性が荒いことで有名でした。
(C) 2019 E.I 『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』は非常に似た構図で2枚存在しています。後に描かれた作品はより暗い色調で描かれており、絵の首はカラヴァッジョの自画像となっているのです。
サロメのイメージを決定的にしたのはオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』(1891年)です。 ここでサロメは獄中のヨハネに横恋慕するが拒絶され、その意趣返しにヨハネの首を望むという物語が創作され … 『出現』のモチーフとなっているのは、新約聖書の洗礼者ヨハネとへロディアの娘、サロメのエピソードです。, しかし、ヨハネは弟の妻であるへロディアを強引に妻としていたヘロデをユダヤ法に違反するとして公然と批判したため、投獄されてしまいます。, ヘロデはヨハネを監獄につなぎとめながらも、人々から絶大な人気を得ており尚且つヘロデ自身もも聖人と捉えているヨハネを殺すことが出来ず、扱いに困ってしまいました。, しかし、強引に娶られたはずのへロディアは違いました。彼女はヨハネを強く憎んでおり、ヨハネを亡き者にしたいと考えていたのです。そしてその機会はヘロデの誕生日を祝う宴で訪れます。, 宴席でへロディアの娘でありヘロデの継娘―現在はサロメの名で知られています―が魅惑的に踊ると、大喝采を浴びます。そこでヘロデはサロメに、「褒美として望むものは何でも言いなさい」と告げます。, 何を望めばいいか分からない娘に対し、相談をうけた母へロディアはヨハネの首を望むように言います。, 娘の要求にヘロデは困惑しましたが、人々の面前で約束してしまった以上断れません。ヨハネの首をはねることとなってしまいました。, サロメは絵画において男を惑わせる魔性の女として描かれていました。特に1870年代はフローベルの小説やマラルメの詩が契機となり空前のサロメブームを迎えていたと言われています。, モローは流行を踏まえつつ、聖書の中の登場人物としてのサロメではなく、サロメに代表される女性の本性、女性という魅力的な「性」を駆使して男を屈服させ、どんな願いもかなえてしまう魔性性を描いたとされています。, 空中に浮かんでいるのはヨハネの首で、断首の表現は男性が持つ去勢恐怖を美的に表す意図があるとも言われています。, 「聖書に興味はあるけど取っ付きずらい…」という方には、絵と一緒にストーリーを概観できるのでおススメです。, 美術館に行く前には予習として、行った後には復習に後に、特に行く予定はない人は気晴らしにご覧ください笑, 百人一首No.17『ちはやぶる』を解説~作者は?枕詞は?擬人法は?意味は?魅力は?, 百人一首No.13『筑波嶺の峰より』を解説~「筑波嶺」の読み方は?意味は?序詞は?作者は?. サウルは美男子で、強く、背が高く、控えめできわめて有望な人物でした。しかし... 困難は「みこころ」のしるしの可能性も… その為かサロメはマイルーム会話でも「王」あるいは「領主」などの肩書きを持つサーヴァントに対し、嫌悪感を露わにする。 ヘロデヤ 母。ヨハネと確執のあった母がサロメにヘロデの首を頼むように要求した。 不夜城のキャスター 《バイブル・エッセイ》「心は晴れる」そらのそら ー「伝道者の書」とわたし その2 ヨハネの首をはねることとなってしまいました。 『洗礼者の首を持つサロメ』(カラヴァッジョ、1605年、ロンドン・ナショナルギャラリー) 『出現』解説. サロメは舞い終わると褒美としてヨハネの首を要求し、ヘロデ王は誓約に縛られ、ヨハネを処刑する。 というお話です。 オスカー・ワイルドが原作であるところの聖書を大きく変えているのは、サロメが首を欲しがる理由。 「意に沿わぬ者は殺す」
キリスト教放送局FEBCのラジオ番組「ザ・ストーリー~一冊の本に込められた思い(毎週木曜放送)」にいのちのことば社の編集者が出演し、担当した書籍について語る 菅野基似(かんの・もとい)と申します。22歳です。ただいま、フリーター生活を始めました。というのも、ついこの間まで神学生とし... 聖書には神以外の物や人に頼って災難に遭った人々が登場します。霊として現れた預言者サムエルの前にひれ伏しているのは、イスラエル王国の最初の王であったサウルです。 マリア福音姉妹会 シスター・スミルナさん サロメの伝説を下敷きに、ユダヤの王宮で繰り広げられる騒動を描く「ヘロディアス」は、ヨカナーンがどれほど力強い言葉、歌のような言葉をもつ人であり、その声こそが彼の魅力の根源であったかを雄弁に物語る。 歌手たちは、踊り場も手すりもない不安定な長い階段を駆けまわり、激しい演技をしながら見事に歌っていた。転んだりしないかどうか、ハラハラしながら見守る気分だったが、そのあやうさもまた舞台の効果だったのだろう。, エロに関心があって『サロメ』に引き寄せられた大衆は、サロメが実はひとりの純真な女性として、愛する男性とごく当たり前にふれあい、夢を見たかっただけなのだということを思い知る――。それが今回の舞台の核ではなかったかと思う。, ●『三つの物語』(フローベール著、谷口亜沙子訳 光文社古典新訳文庫)https://amzn.to/31lwQjI サロメの伝説を下敷きに、ユダヤの王宮で繰り広げられる騒動を描く「ヘロディアス」は、ヨカナーンがどれほど力強い言葉、歌のような言葉をもつ人であり、その声こそが彼の魅力の根源であったかを雄弁に物語る。, ●『サロメ』(ワイルド著、福田恒存訳、岩波文庫)https://amzn.to/2WGL2VWオペラの原作となった戯曲の格調高い翻訳。オペラに触れる前に読むと理解に役立つ。, ●『R.シュトラウス:楽劇《サロメ》からフィナーレのモノローグ、7つのヴェールの踊り、5つの歌曲 レナード・バーンスタイン指揮 フランス国立管弦楽団、モンセラート・カバリエ(ソプラノ)』https://www.universal-music.co.jp/leonard-bernstein/products/uccg-90592/自宅でサロメの聴きどころだけを楽しむのに好適。美しい歌曲も収められており、シュトラウス入門にも良い。, ニコール・キッドマンが迫真の名演、ネオ・ノワールの衝撃作『ストレイ・ドッグ』を鬼才カリン・クサマ監督がオンライン インタビューで語る, 東京国際映画祭W受賞作品『ジャスト 6.
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。, この4月から6月にかけて、東京二期会が二つの”サロメ”を題材としたオペラ――フランスの作曲家マスネの『エロディアード』、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』――を上演しました。折よく、パナソニック汐留美術館では『ギュスターヴ・モロー展 ~サロメと宿命の女たち』が展示中(~6月23日)で、芸術史におけるサロメ像が大きくクローズアップされることとなりました。今回は、そのクライマックスとなったシュトラウスの『サロメ』のレビューです。, オペラ入門にもっともふさわしい演目のひとつが、リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』である。古代エルサレムを舞台にした、聖書に基づくエピソードによる物語だが、原作となっているオスカー・ワイルドの戯曲は、1905年に作曲された当時からセンセーショナルな存在であった。ビアズレーやモローの絵に象徴されるように、世紀末のデカダンス的芸術に関心ある人にとって、最も入りやすいテーマだし、劇中に出てくる「7つのヴェールの踊り」は1枚1枚サロメが服を脱いでいき、ヘロデ王の歓心を買うための、一種の煽情的ダンスとして知られる。その褒美としてサロメはどんな宝物よりも預言者ヨカナーン(イエス・キリストに洗礼をした聖者)の首を所望し、ついにはその生首にキスをする。最後は恐怖したヘロデ王の命令で殺されて幕となる。つまり、倒錯的でエロティックな要素に満ちた作品なのだ。私もクラシックを聴き始めた思春期の頃に、最初に好奇心を抱いたオペラのひとつが、この『サロメ』であった。ヌードを描いた名画にくぎ付けになるのと、そう大差ない。大衆的な好奇心をそそるのも、オペラにとっては大事なことである。, しかし、何度も『サロメ』に接しているうちに、わかってくる。このオペラは官能的な音楽に満ちてはいるけれど、実はサロメは猟奇的な妖婦でも、異常性欲の持ち主でもなんでもなく、むしろ純真な少女だったのではないか、ということが。, 今回、東京二期会の『サロメ』(ヴィリー・デッカー演出、セバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団)に接して、さらにその思いを強めた。, ひとつのシーンが瞼によみがえってくる。不安定な、平衡感覚の失われるような階段だけで作られた舞台。月の夜。地下牢から響いてくる預言者ヨカナーン(大沼徹)の声。為政者の不正を糾弾し、権力にひるまず、希望と未来を語るその若い男の声は、あまりにも凛々しく美しい。堕落した王で義父のヘロデ(今尾滋)のいやらしい好色な視線にさらされ、退屈な宴から逃れ出てきた王女サロメ(森谷真理)にとって、ヨカナーンのその声は、あまりにも魅力的なものだった。, 彼の名前を知りたい。彼に触れたい。もっと彼の声を聴いていたい。そう思うのは少女にとっては当然のことだったろう。すべての登場人物は、スキンヘッド、つまり剃髪であった。この演出が意味することは、ある因襲にとらわれた人々、ということだろう。しかし、ヨカナーンだけは、黒くふさふさとした葡萄の房のような髪を持っている。彼だけは、自由で特別なのだ。サロメはそれに気が付いている。, ところがヨカナーンはサロメを拒絶する。決して一人の女として、対等な人間として、ありのままの彼女を見つめることをしない。不道徳な王妃ヘロディアス(池田香織)から生まれた呪われた娘だと言って、サロメを全否定するのだ。, ああ、その瞬間の音楽の恐ろしさ! そして顔面蒼白となって頭をかかえてうずくまったサロメの可哀そうなこと!, 思えば、宮殿で生まれ過ごしてきたサロメにとって、命令し命令されることはあっても、好色な視線にさらされることはあっても、誰かと一対一の人間どうしとして、関係を結ぶことが、これまでは全くなかったのではないだろうか。, 生まれが何だと言うのだ。母がどんなに罪にまみれていようが関係ない。サロメも人間である。ヨカナーンがどんなに立派な男であろうとも、サロメに対してそう決めつけた段階で、彼は考えうる限り最大の侮辱を、頭ごなしの全否定を、一人の人間に対して与えたのではなかったか。, サロメにとって、口づけをするということは、ただの「…される」存在としてではなく、一人の人間として主体的な行為をおこなうということであり、愛し合う行為に向けての一歩である。この舞台を観ながら、そう思えてならなかった。, サロメが7つのヴェールの踊りを踊るシーンは、ストリップでもなんでもなく、ヘロデ王との心理劇のようなマイムが展開された。それは、まともに一人の人間として扱ってくれない権力者の男に対する復讐であり、露骨なまでの性的な挑発を武器に、決して卑屈ではなく、男をあざ笑うかのように手玉にとり、屈服させる行為のように見えた。, 地下牢でヨカナーンが首を切られるのをサロメが待ち受けているときの音楽は、いつ聴いても鳥肌が立つほどに不気味である。オーケストラピットの中から、コントラバスのソロでキッ、キッ、という喘ぐように高い音が、断続的に響くのを、息を殺しながら聴き入る。あの音は、サロメの喉の奥の、ときめきとも期待とも嗚咽ともつかぬ、意識下の欲動のような音である。あれを生み出したシュトラウスの凄さを思わずにはいられない。, ラストシーンでは、今回はヴィリー・デッカーの演出の意外性ある結末なのだが、サロメはヘロデ王の命令で衛兵たちに殺される前に、自らの手でナイフをわが身に突き刺し、ヨカナーンの首の傍らに、あたかもヨカナーンがまだ生きているかのようにマントを広げた横に、倒れ込む。サロメは一対一の対等な女と男として、ヨカナーンと触れ合い、一緒に横になり、肌を重ね、コミュニケーションを取りたかっただけなのではないだろうか。その夢想は、あまりにも美しく、また気の毒でさえあった。, セバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団の演奏は、このオペラ全体を覆っている不吉な予感を体現しつつ、声とのバランスのとれた、サロメの内面のドラマに沿った演奏であった。 血ぬられた王妃が迎えた最期