資産の全てを1つの国に置いていると、その国に何かあった場合に、困る可能性がある。
海外では、ロシア・インドネシア・アルゼンチンなど財政破綻し、ハイパーインフレになっている国もある。
ロシアは、天然ガス、石油など資源を豊富持っており、年間の貿易黒字で、150億ドル以上を稼ぎ出していた。しかし、財閥系が、資金管理のために、ロシア国内ではなく、タックスヘイブンを活用して、収益を上げていたため、税収を確保できず、国債で全てを賄う必要があった。そこで、国債を乱発することになったのだが、国債の引き受けてが不在となり、年利200%まで上昇する形となった。結局、国債を償還するために、自国通貨であるルーブルの価値を切り下げることで、対応しようとしたが、2,000%のインフレを招く結果となってしまった。
アルゼンチンは、2002年に国家破綻を経験している。1990年に経済危機に陥った際に、預金を国債に転換する経済政策を発動した。その後、2002年にアルゼンチンペソが切り下げられるという情報が流れて、銀行から全預金の2割が引き出されることになり、大混乱が発生。その結果、1口座の月間引き出し金額を1,000ドルに制限した。さらに、2001年末にはドル建て口座が、アルゼンチンペソ建て定期預金口座に自動切り替えが実施されて、一定額以上のドル預金は1年間凍結となった。
記憶に新しいものとして、2013年のキプロス・ショックが挙げられる。キプロスの財政破綻に伴って、キプロスに銀行口座を持つ人は、キプロス人であろうとなかろうと、預金に1回限り最大約10%の税金が課された。
外国人の預金が消滅してしまった例は、2008年にアイスランドで銀行が経営破たんに陥った際、オンライン口座にあった英国人やオランダ人の預金も消滅したということもある。
過去日本では、どのようなことが起こったのか?
円の切り替えおよび預金封鎖が行われたことがある。1946年2月16日・17日の出来事なので、70年前の出来事になる。
1923年、関東大震災の復旧資金のために、震災手形を発行し、
1927年、昭和恐慌を引き起こし、預金封鎖を実施。
1945年、戦争時国債を発行しすぎげ、年500%のハイパーインフレ、その後、預金封鎖と新円切り替え実施、預金カットを実施。
年表
1871年・・新貨条例で円(金・銀貨)発行・1ドル=1円
1882年・・日本銀行設立
1885年・・日本銀行券発行
1929年・・世界大恐慌
(金本位体制の崩壊)
1942年・・日本銀行金兌換義務消滅
1945年・・終戦
1946年・・新円切り替え
1947年・・国際通貨基金(IMF)業務開始
(金本位体制→ドル本位制に移行)
1949年・・単一為替レート導入・1ドル=360円
1971年・・ドルの金交換停止
(ドル本位体制→変動相場制に移行)
・参考サイト
1)七十七銀行・金融資料館
2)公益財団法人・八十二文化財団
1つの国・地域の銀行口座に全財産を入れてしまっていると、いつなにが起こるかわからないという教訓になる。
マイナス金利の中、定期預金金利が大幅に下がっている中、無理に日本で預金をするのではなく、他の国・地域にも分散しておくことが必要になってくる。
「生涯収入5億円倶楽部」では、歴史として参照した上で、リスクを分散するための1つの方法として、海外の国・地域を活用しているのだ。
元々貨幣は金にリンクしていた
鉱物である「金」は、古代からその価値が認められてきている。掘り出すのが難しく、質の劣化が少なく、見た目も輝いていて美しいということで、人々を魅了している。
金は、昔商取引で利用されていたけれど、より取引を便利にするために、金との交換ができる権利を形にしたもの=兌換貨幣が発行された。それが金地金本位制と呼ばれていた。
現在は、世界の信用の中で、国力を背景にして、通貨同士の価値をそれぞれ決める、変動為替相場制となっている。
各国の中央銀行が、その独自の政策によって通貨発行量を調整して、その結果を受けて、市場で相場が日々変動している。
通貨と金については、今は全く関係ないのか?というと、そうではない。
IMF加盟各国は、IMFに外貨準備として保有する金の量を報告するルールがあり、各国がどれだけ金を保有しているのかが数字として明らかになっている。
また、金の価格は、経済動乱が起こったタイミングで上昇することで知られている。「有事の金」「守りの資産」ということで、価値を高めていた歴史がある。金価格の推移を見てみると、2000年から2012年にかけて、大きく価格が上昇している。
金は、どの国のしがらみから独立した存在ゆえ「無国籍通貨」といわれる。しかも、金は「誰の債務でもない」ので、発行体の信用リスクとも無縁になる。
自己責任で自分の資産を守る時代の到来
日本で1996年から2001年度にかけて行われた大規模な金融制度改革。
金融機関の「護送船団方式」が終わりを迎え、2002年以降には、銀行業・保険業・証券の各代理業解禁など規制が緩和された。
この改革によって、ネット証券会社が誕生し、トレーダーの環境が大きく変化することとなり、また海外の金融機関が日本国内に相次いて参入してくることとなった。
また、同時期に大きく環境が変化したのが、預金保護制度だ。
それまでは、金融機関が経営危機に陥った際に、日本は公的資金を投入して助けていた。しかし、多くの金融機関で経営状態が良好とはいえない状況を迎え、公的資金としての税金を投入することは、国民負担が増加することに繋がる。そこで、預金保護制度を適用する、ペイオフが解禁となった。
全面的にペイオフが解禁された2005年4月以降、ペイオフが実施されたのは、2010年の日本振興銀行破綻時になる。
ペイオフが解禁されて、原則預金1,000万円までの保護となったことで、預金者は、銀行が破綻する可能性があることを理解し、また金融機関はより安定した経営を目指す必要が出てきた。預金者は、自己責任の元、金融機関を選択する必要に迫られることになったのだ。